Umekichi Yoneyama
米山奨学事業の記念の称号を付した米山梅吉氏(1868-1946)は、幼少にして父と死別し、母の手一つで育てられました。16歳の時、静岡県長泉町から上京し、働きながら勉学に励みました。20歳で米国へ渡り、ベルモント・アカデミー(カリフォルニア州)ウエスレヤン大学(オハイオ州)シラキュース大学(ニューヨーク州)で8年間の苦学の留学生活を送りました。帰国後、文筆家を志して勝海舟に師事しますが、友人の薦めで三井銀行に入社し常務取締役となり、その後、三井信託株式会社を創立し取締役社長に就任しました。信託業法が制定されると逸早く信託会社を設立して、新分野を開拓し、その目的を”社会への貢献”とするなど、今日でいうフィランソロピー(Philanthropy*)の基盤を作りました。
晩年は財団法人三井報恩会の理事長となり、ハンセン病・結核・癌研究の助成など多くの社会事業・医療事業に奉仕しました。また、子どもの教育のために、はる夫人と共に私財を投じて小学校を創立しました。”何事も人々からしてほしいと望むことは人々にもその通りせよ”これは米山梅吉氏の願いでもあり、ご自身の生涯そのものでした。”他人への思いやりと助け合い”の精神を身もって行いつつ、そのことについて多くを語らなかった陰徳の人でした。
「今後、日本の生きる道は平和しかない。それをアジアに、そして世界に理解してもらうためには、一人でも多くの留学生を迎え入れ、平和を求める日本人と出会い、信頼関係を築くこと。それこそが、日本のロータリーに最もふさわしい国際奉仕事業ではないか」――。事業創設の背景には、当時のロータリアンのこのような思いがありました。それから60年余の歳月が流れましたが、”民間外交として世界に平和の種子を蒔く”という米山奨学事業の使命は一貫して変わっていません。むしろ、今日の世界情勢と日本の置かれている状況を考えるとき、その使命はますます重要性を増しているのではないでしょうか。留学生への支援は、未来に向かって平和の懸け橋をかける尊い奉仕なのです。
* Philanthropy: 語源はギリシャ語の「フィラン(愛)」と「アンソロポス(人類)」から由来している。人類愛・博愛などと訳され、今日的には「社会貢献」と訳される。